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大坂北部地震、西日本豪雨災害により被災された皆さまへお見舞い申し上げます

6月18日、大阪府北部を震源とする地震では、被災家屋が2万2千棟を超え、水道や交通網に支障をきたし、倒壊したブロック塀で女児が犠牲になるなど、都市部の脆さが露呈しました。  江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛は、文政11年(1828)の冬、越後三条の地震に遭っています。マグニチュード6・9の直下型地震で、死者一五五九人、怪我人二六六六人が出るという大地震だったようです(総務省消防庁のデータより)。良寛さんは、子どもを亡くした山田杜皐(俳人)に見舞い状を送り、次の言葉を書き込んでいます。 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候」  災難に逢ったら逃れられない、死ぬ時が来れば死ぬしかない、これが災難から逃れる秘訣と良寛さんは言うのです。子どもを亡くした親に対する手紙としては、何とも冷たいというか、誤解を受けかねない言葉です。地震が招いた災害を不運と嘆くよりも、その災難を事実として受け入れることが肝要ということでしょうか。生まれてきたからには、老病死は避けられない、あるがままを受け入れて、今自分ができることを一生懸命やりなさいという、良寛さんの優しさが込められた言葉なのでしょう。  一方で、この災害で受けた災難に止まらず、自然災害は人間が完全に制御できるものではない、という戒めも含まれてはいないでしょうか。  平成に入って最悪の被害となった西日本を中心とする豪雨災害では、死者2百人を超える大惨事となりました。未だ安否不明者も多く、復旧への見通しも立たず途方に暮れる人々が多くあります。現地に駆けつけて復旧作業に励むボランティアも多くおられますが、私たちもそれぞれの場所で、災害物故者供養と早期復旧を祈らずにはおれません。  室町時代、戦国時代の第百五代・後奈良天皇は、天文9年(一五四〇)に日本各地に蔓延した疫病終息を発願して般若心経の写経を行い、「人々に幾ばくかでも疫病の妙薬になってくれればと切に願う」と祈り続けたそうです。

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